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アルツハイマー病の母 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子

アルツハイマー病の母 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子
2021年7月20日

当然のように思っていた在宅介護は、大きな誤解。

脳梗塞の治療を終えた母は、医療センターに設立された地域包括ケア病棟に移った。 高度で濃密な治療を終えると、継続的な治療やリハビリ、介護施設や在宅復帰を目的としたプログラムを組み、その人に合った状態まで機能回復することが、地域包括ケア病棟の目的とされている。
一般的に地域包括ケアとは、リハビリのためのセラピストや栄養士がいて、退院に向けたサポートが整っているところだ。
母のプログラムの目的や内容、退院後のアドバイスなど、自然な流れとして私は期待していた。
しかし時はコロナ禍。
母に会うことはもちろん、担当の人すら顔が見えず、コミュニケーションもままならない状況がつづいた
要約すると、食事がすすまず、リハビリへの意欲がないものの、時折歌を口ずさんでいるとのこと。理解能力はなく意思疎通ができないと聞いた。脳梗塞の後遺症については若干のマヒを残し、元通りになったと言われても、母を見ていない私は、額面通りに受け入れがたい心境だった。
社会的地位のない認知症の老人が在宅復帰の支援を受けるのは、実は難しいことかもしれない。
とりあえず退院準備にとりかかろう。車椅子、スロープ、ベッドがいる。部屋の片づけを先にしよう、と率先して妹が手伝ってくれた。そういうことがキライな私には、キビキビと働く妹がまぶしく映った。退院後の母の介護も参加する意思を見せてくれた。
未来は永遠に明るく思えた。
少なくともこのときは。
地域包括ケア病棟に不信感があるのでは決してない。医療と介護は違うということだ。そして、忘れてはならないのが、母はアルツハイマー型認知症。ここ1年ほどで急激に重症化したようだ。もの忘れが激しくなり、数年にわたる記憶がぶっ飛んでいたりした時点で、アルツハイマー型認知症をなぜ疑わなかったのか。以前も今も「きっと良くなる」と思うものの、根拠がある わけではない。母に会いたい、早く帰ってきてほしいという慕情だけで、はたして私は何ができるのか。
混沌となった思考で出した答えは、自分には心の、そして介護の準備ができていないということだった。また、家族を思いやることも必要だ。在宅復帰と一言でいっても、そこには十人十色の生活と症状がある。母の様子をまず見て受け止める。自分の思いと向き合うために、
在宅復帰ではなく、介護施設を選んだ。
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初めての119番 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子

初めての119番 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子
2021年6月30日

母と救急車で向かった先にあるものは、人生を大きく変えていった。

深夜トイレに行こうとする母のようすが変だ。どこかいつもと違う。立つことをあきらめているようだ。日増しに弱っていく母の介助をしているとはいえ、活発で行動的な母から離れられない自分がいる。異変を前にしても、 「こんなことで負けないで!」と、悔しい思いをするのはそういことだろう。いや、ほんとうは大変な事が起きているのかも。
判断できない自分に少し狼狽し、救急病院に連れて行かなければと思う自分も、どこか遠くにいるような感覚だった。
看護師の妹を頼り電話をすると、「病院に連絡したほうがいいよ。」と言われた。孤独な気持ちをかかえながら、医療センターに電話を入れ母の症状を説明する。
「とても心配な症状です。
すぐ救急車を呼んでください。」
指示をしてもらえたおかげでシャキッとなれた。 救急車が来るぞー!家中にふれ回り夫と息子に準備してもらった。それからはサクサクと事が進み、母と一緒に救急車に乗り込み病院を目指すのみ。しかし私は尋常ではなかったのだろう。
到着するまでの間、サイレンの音はまったく聞こえていなかった。ずっと母に話しかけていた。そうすることで母を留まらせたかった。
病院にやってきた妹はムカつくほど平常だったが、彼女が家族でいてくれて本当によかった。これからはもっと頼ろう。 検査を待つ間、母はきっと脳梗塞だろうと思った。医師からMRI画像を見せられ、白くなった部分が今日起きたばかりの脳梗塞だと説明 された。すぐ治療にかかるとのこと。しかし、このMRI画像に愕然となった。
脳が半分くらいではないか。初めての119番でわかったこと。 「アルツハイマー型認知症です。」 「・・・・・・・・・・・。」
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欲求志向の介護 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子

欲求志向の介護 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子
2021年5月10日

新バーションの母の欲求志向を介護するって、ハードル高すぎ。

「おばーちゃん!それはアブナイゆうてるやろ!」 「あ〜、またお母さんに電話するゆうのやろ。
ふん! ワタシかて云いたいことあるわ。」

母を介護しているといっても土日以外の日中は、私は仕事で不在にしている。何か起きれば、いや起きなくとも常に私のケイタイが鳴る。
それは息子だったり母だったりする。
体の衰えや思考回路がショートしている母を、
家族全員が24時間理解した上でサポートすることを目指していたが、ゴールは遠く見えない。

まず、衣食住の介助をさせてもらえるまでが長かった。
ようやく双方が平常心で向き合えるようになり、このことに私はけっこう満足していた。これはほんの始まりだったとは。
もともと母は、家事をこなしながら趣味やボランティアに時間をさき、ともだちづきあいも良くとても活動的であった。今はその感覚だけが母の体に残り、実行させる能力はほとんど喪失している。母がしようとすることは、見ていて危険を伴ったり、後でナンギな結果になることが多い。
だからどうしても待ったをかけたくなる。
母の好奇心から来る行動は、衣食住の上にある欲求志向に過ぎないのだが、この部分をサポートするのは未踏である。母がまだ母だった頃はしていたように思うが、新バージョンの母に至ってはハードルが高い。
仕事を持ちながら介護にあたるとき、家庭の中だけではまかなえきれないのが実情だ。
ひるがえってグレイスヴィルまいづるのケアについて考える。
開設当初は介護保険の認定調査を元に人物像を想像し、日常生活を整えるために必要なサポートを考えることから始まった。現在は入居後のようすから、観察と提供を繰り返し、ひとりひとりの自由と気ままさを大切にしている。
家庭で毎日これはむずかしい。
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桜と魚と脳内徘徊 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子

桜と魚と脳内徘徊 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子
2021年4月20日

おだやかなわりに、春はなにかと刺激がいっぱい。

満開の桜並木がつづく伊佐津川の土手を、母を連れて散歩した。 家に戻ったあと母の姿は見えなくなったが、それほど心配ではなかった。 徘徊できる脚力がないからだ。案の定、母は近くの教会へ行っていた。教会の神父様は母を連れ、ドライブしながら桜見物をしてくれたようす。よほど楽しかったのか母は興奮し、わたしには答えられない質問を浴びせた。 思い返せば伊佐津川の桜並木から始まっていたの かも知れない。出かける時は「いってきまーす」って言ってねというと、
いえにだぁれもおらへんのに。
誰にゆうの?
と、ケロっとした返事をしていた。 わたしのことを家具だと思っているのだろうか。まぁ、別にそれはいい。その日はともだちが魚の干物と共にやってきて、庭で炭火焼をすることになっていた。黙っていてもにぎやかなこの客人を、いつも母は名前を忘れずにいて楽しそうに話す。ちょっとひねくれ者の母のことを友達もおもしろがっていて、そのせいで母の話しは止まらない。
家族みんなで作業をしながら旬の魚をほおばった。
庭では香ばしい煙が立ち込め、時折大きな炎が燃えさかったりした。
それらのひとつずつを愛でながら、夜がふけていった。 こんなときにもし、徘徊癖のある老人が家にいたら、と思わずにはいられない。家族は大変な思いをされているに違いない。わたしの介護時代はまだまだやさしいほうだ。
しかし...。
母の脳内徘徊は止まらない。
ひたすら自分の記憶の中をぐるぐると歩き回り、現実と違うことの答えを探しているようだ。刺激的な一日を過ごし、母の脳が活性していると信じよう。よく見ると、瞳は輝き肌がはっているではないか。きっと全身で楽しんでいるのだろう。はよ寝て。
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母、墓へ行く ・・・・・ 施設長 淡路由紀子

母、墓へ行く ・・・・・ 施設長 淡路由紀子
2021年3月9日

自分の親が亡くなっていることをすっかり忘れている。

母方の父母のお墓は、西舞鶴の日星高校の裏手の山、五老ヶ岳の懐に大きな十字架の立っているところだ。足腰が弱くなってから2年余り、母はこのお墓に行くことがなくなった。近頃では特に歩行がおぼつかなくなり、坂道や階段のある現地へ出向くことは到底ムリだ。ところが、困ったことが起きた。自分の親が亡くなっていることをすっかり忘れている。葬式を出したのか?墓はどこにあるのか?どうして誰も教えてくれないのか!とどうにも止まらない。母が墓参りしている写真を見せても思い出せず、ヒステリー状態になっている。
あまりのしつこさに堪忍袋の尾が切れてしまった。
「今から行こか!」
お墓のふもとに着き、果たして母はふらつきながらも歩き出した。手を取り腰を支えてやり、ゆっくりゆっくりと小さな体が坂道を登って行く。連いてきた孫の力もあったのか、遂に母は墓前にたどりつくことができた。
「お父さん、お母さん、ごめんね。」
自分の親が死んでしまった事実を知らされた時、それはショックなことで、忘れがたい悲しいことなのだ。デリカシーに欠けている私はしつこいの一言で終わらず、性悪な気持ちで母を車に乗せてお墓へ向かった。母は何を思いながらあの急な坂道に身を置いていたのだろうか。
両親がいないことに衝撃を受け、
しかも4〜50年も経っていることに
驚愕したに違いない。
なにもかも失念していた自分を、どうか許してほしいと。お墓の前に両手をついた母の姿は、私にも息子にも強烈なインパクトを与えた。 お墓を後に降りた坂道は、登ってきた時とは打って変わり、最近とがった私の感情を和ませてくれた。その夜は爽やかな気持ちで家族と過ごした。