母の日常、私の日常 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子
2021年2月16日

自分の価値観や規則で、母の日常を仕切ることは土台ムリ。

母にイライラするときを思い出してみよう。
私の指摘や介助に対し母の態度と行動が伴っていないときだ。 ひとの親切や思いやりに相手が応えようとしない、これに尽きるのではないか。自分の思い通りにならないと、私は不機嫌なループから脱出できなくなる。自分の思いとは何だろう。理想だろうか。あるべき状態から1ミリでもずれることはいけないことだろうか。いいえ。そんなはずはない。 落ち着いて考えれば誰にでもわかること。グレイスヴィルまいづるのキャッチコピーは、「寄りそい、受けとめ、ひとりずつと向き合い ます。」これはコピーなので「わたし」「あなた」が省略されている。私の場合は「あなた」が不在の介護をしていたようだ。
勝手に寄りそったり自分本位の受けとめは、介護とはよべない。ではこの1年私は母になにをしていたのだろう。
母がなにか言い出すまでつことにした。これは辛抱がいる作業だとわかった。なぜなら逆のことをしていたからだ。 親切のつもりで手を加えたり気配り気分で行動することは、介護する自分が気持ちいいだけだ。
今は少し違う視点、すなわち母の立ち位置が見えてきた。母が何をしようとしているのか、何が言いたいのか聴けるようになった気がする。自分の価値観や規則で、母の日常を仕切ることなど土台ムリだったのだろう。
ここちよく、安心できる日常は変化に富み、
どこまでも柔軟なもの。
そこには注意しないと見過ごしてしまうことばかり。
母の日常に視点を合わせたら、私の日常も穏やかになってきた。