仁義なき母娘の葛藤・・・・・施設長 淡路由紀子
2021年9月20日

早い気づきが楽になる。親への気持ちや態度の悪化を防ごう。

家に母の姿が見えない日がつづいている。 寂しくもあり、後悔する毎日である。 ひとつには物忘れが始まったことだ。アシストすると話しが通じるので、ただの老化現象だと思っていた。たまに口をはさむのをやめると、
なんでちゃんとゆうてくれないのよ!
と怒り出したが、年寄って気が短くなったな、くらいの気持ちだった。ゆっくり説明するとわかるものの、同じことの繰り返しに疲れ果てていた。
なぜその時、認知力が衰えていると思わなかったのか悔やまれる。
ふたつめは、たびたび態度が急変することだ。これもまた、年のせいとか私の態度が気に食わないのだと思っていた。同時に私自身も子供の精神状態に戻された。私が大人になっているのをどうして認めてくれないのだろう。いくら娘だからってそうそういつも聞いてられない。 台所のおたまに怒りをぶちまけ、くの字に曲げてしまったこともあった。
気性が著しく上下すれば、病気を疑うべきだ。 物忘れがひとつでも始まったら、物忘れ外来など診察を受けるべきだ。
そうすれば、まだ母が意識のあるうちに、病気のことや自分の老いに向かい合う時間があっただろう。この点において、何度も何度も悔やんでいる。
認知症で人格が壊れていく過程は、理性は根こそぎ抜かれ、壮絶になり、疲弊する。母娘のどちらもそれを体験する。
ただしその体験は、トラウマとなって私にだけ残る。そのあたりが親の世話をする人にとって、広いけれど通りにくい門となるのだろう。ちょっとした言葉や動作のやりとりがキッカケとなり、母と子に引き戻されるトリガーは常に存在し、つい引き金を握る誘惑にかられる。
しかしこれらはみな、自分の気持ちがいっぱいだっただけである。言い換えれると、自分の感情を優先し、建設的な思考や問題解決に向かう理性が欠如していたということだ。
もしあの時そうできていたら、認知症やアルツハイマー病が頭をよぎったに違いない。 いい年してるんだから丸くなってくれ、そのへんは悟ってくれ、と母に対して心で叫んでいた。 実はそのまま自分へのフレーズだったのか。