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eps.4 リスクテイカー、それともドリーマー
2022-10-14
椋平州魅子 ムクヒラスミコ : 2019年より当法人の広報担当 2021年より組織デザイン、人材教育担当
英語のドリーマーにはふたつの意味がある。夢見る人は侮蔑的に使うが、夢追い人は尊敬の念を表す。私はリスクを好む傾向が子供の頃からあるので、ドリーマーでありリスクテイカーと言える。リスクはテイクしないと夢はかなわない、と思ってきたのだろう。ところがテイクするたびにリスクは肥大化していった。
アメリカでビザなしで働けば強制送還になる。しかし仕事の実績なくしてビザの申請はできない。まったく相反する事実(論理)が存在する。自分の主張、働きたいこととビザを申請したいことが絶対通らないことを、キャッチ-22(トゥエニトゥ)と呼ぶ。このふたつの論理の後者、すなわち「仕事の実績なくしてビザの申請はできない」を迷わず私は選んだ。
キャッチ-22(トゥエニトゥ)って?
あらすじ
主人公が精神障害であることを理由に除隊を申し入れるが、上官は精神障害だと自分で言えるのはまだ精神障害ではない証拠、とされ除隊は永遠にできないことになる。仮病を繰り返す主人公と兵士たちは、上官の無理難題で気まぐれな軍規22条に「キャッチ-22で決まっている」からと従うしかなかった。派兵地のイタリア・ピアノーサ島の基地で体験する、狂気と正気の入り混じった出来事が、絶妙なタッチで表現されている。筒井康隆、星新一が好きな人におすすめ。
「キャッチ-22」1961年ジョセフ・ヘラー著 アメリカの作家。コピーライターなどをしながら8年がかりで本作品を書きあげる。無名の新人だったにもかかわらず大ベストセラーとなった。
不法滞在で仕事を続けるという大きなリスクをテイクし、問題解決と喜んだのもつかの間。アメリカ人でさえも仕事にありつけないという不況が続いた。3年ほど貧乏暮らしをしている時、フォトディレクションをした作品がCA(コミュニケーション・アート年刊)でエクセレンスを受賞した。これを営業の糧とし、ニューヨークに仕事を求めた。
受賞した作品は、1日のある時間を設定したライティングによるもの。 世界的に有名な賞だったので、営業でアプローチする時、会ってもらえる確率が高くなった。
サンフランシスコから3時間の時差があるニューヨークのフォトグラファーに、営業の電話をかけまくった。同じ頃、自分の会社はカリフォルニア州で起こしたので、ニューヨーク州では機能しないことがわかった。アメリカは、たくさんの国々で成り立っていることを初めて理解した。
見切り発車でとりあえず、出張気分でニューヨークへ行った。はたしてニューヨークのフォトグラファーたちの中には「ん?キミと仕事ができるんだから、そのリスクはテイクできるよ」と言ってくれる人も数人いた。会社の社会保障番号が使えなければ、雇い主側も厳しく罰せられる。この街には移民局がないのかと疑った。サンフランシスコとは雲泥の差。競争が激しく不況知らずのニューヨークでは、連日仕事のオファーがあった。
私の仕事は、撮影商品のためのセットを作ることから始まる。コンセプトやテーマを提供することもある。テクスチャのあるペイントをしたり、自分で小道具を作ったりする。最後は8X10の大きなカメラのファインダーを見ながら構成を決める。撮影のアートディレクターを兼ねたスタイリストだ。
相変わらず不法移民のままだったが、ランコムNYの仕事が定番となる頃、ふたつの大事件が発生した。
ひとつは1989年10月のロマプリータ地震。サンフランシスコ近辺で甚大な被害が生じた。私のアパートメントは無事だったが、そろそろどちらの街に住むか決める時が来た。
ふたつめは翌年の1990年、ともだちの夫で働かないし虚言癖があるどうしようもないクズと大げんかしてボコボコに負かした。と思っていた。全てのリスクは結果が伴うことを忘れていた。彼の復讐が始まった。
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