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eps.13 罪悪感から解放への道のり・・・・施設長 淡路由紀子
2021年11月11日
施設介護は思っていたより効果が高い。
母を在宅で介護することに異を唱えた友人は、居を移し両親と同居し、仕事をしながら長年にわたり両親を介護した。身近な人がしている こともあり、なんとなく自分もそうするんだと 思っていた節がある。だから反対されてもピンと来なかった。仕事のやり方やリズムを変えれば私だってなんとかなる。そう信じ込んでいた。
一度も介護せずに母を特養に入居させるのは、言いようのない罪悪感があった。
それは施設を運営し始めた頃からの、私の間違った観念によるものだ。多くの入居者を迎え入れる過程で、親の世話をしない人々に対し、ネガティブな見方をしていたからだ。もちろん介護したくてもできない人も多くいたことは事実で、出来る限りの支援をしてきたつもりだ。舞鶴市職員時代から高齢者福祉にたずさわり、福祉制度への情熱と疑問が産んだ、いわば中途半端な解釈の表れかもしれない。
自分の母親がまさかの アルツハイマー病になったことで、関わりの ある家族の奥深な心情に触れた気がする。
時が経つにつれ反省をするやら、自分の未熟な解釈や 単純な価値観を恥ずかしく思う次第である。もうひとつ転機があった。 それは当施設の介護職員、看護師たちの介護力だ。脳梗塞の入院治療を終える頃、母はこれ以上はどうにもならないと宣告され、私はかなり動揺していた。そんな気持ちのままで別人化した母の世話に当たれるだろうか。迷ったあげく、当施設に短期入居するオファーを受けることにした。
表情を失くした母だったが、スタッフ達の介護によって見る見るうちに状態が変わった。また、食卓で入居者たちにかまってもらううちに、笑顔になり自分で箸を持ち始めた。
そんな風景を目にするうちに、自分のかたくなな気持ちがすーっと溶けていった。何がなんでも自宅に連れて帰り私が世話をする、という
意気込みは、罪悪感から解放されたいことの裏返しであり、自分のことしか頭になかったからに過ぎない。
果たして私は母に、 ここまでの穏やかさを与えることができただろうか。介護とは支援する側の行為をいうが、その
本質は介護を受ける人が中心でなくてはならない。
私の罪悪感などお呼びでない。解放はまだ遠い。
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