eps.3 アイデンティティの喪失 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子
2021年1月12日

認知症の母を前に、私のアイデンティティも危うくなっている。

お風呂に入ること、着替えること、ときに排泄時の手助けが必要になってきた母。夜中のトイレに起こされることや用足し後の後始末など、 私的な時間が削られることにようやく慣れた。長年まかせっきりだった夕飯も毎日作り、家族みなで食べている。だんらんのありがたさを感じるこの頃、なぜかスッキリしない。原因はよくわからないが、母の態度にむかつくときだったり、それに反応する私の態度だったり。たとえばドアを思いっきり閉めたり、新聞をテーブルに叩きつけたりしてしまう。
「ええ加減にしろー!」という自分がいる。
腹が立つのが収まらないと同時に、あほな行動をする自分が情けない。

それがスッキリしない原因かもしれない。しかし、そのまた原因は別物に違いない。
親を長年介護したともだちが「自分の親だと思うのを捨てるのよ」とよく言っていたことは、このことだったのか。しかしそう簡単に気持ちが変わるものではない。慣れ親しんだ母の姿がそこになく、その言動がぶっ飛んでいるときは受け入れがたく、全てのマイナス感情に囲まれてしまう。母は認知症なので自分のアイデンティティが時折失われても仕方がない。一方私はどうだろう。認知症の母を前に私のアイデンティティも危うくなっているのではないか。

ワタシって一体なに? どうゆう性格の人?
最悪の危機に面すると本性が現れるというが、これくらいのことで自分の本性と向き合えないのは、もはや介護以前のことかもしれない。 いや、もっと前向きになろう。 母も私もアイデンティティを喪失したのだから、互いが納得できるそれぞれのアイデンティティを、いちから作ればいいのだ。