eps.6 桜と魚と脳内徘徊 ・・・・・ 施設長 淡路由紀子
2021年4月20日

おだやかなわりに、春はなにかと刺激がいっぱい。

満開の桜並木がつづく伊佐津川の土手を、母を連れて散歩した。 家に戻ったあと母の姿は見えなくなったが、それほど心配ではなかった。 徘徊できる脚力がないからだ。案の定、母は近くの教会へ行っていた。教会の神父様は母を連れ、ドライブしながら桜見物をしてくれたようす。よほど楽しかったのか母は興奮し、わたしには答えられない質問を浴びせた。 思い返せば伊佐津川の桜並木から始まっていたの かも知れない。出かける時は「いってきまーす」って言ってねというと、
いえにだぁれもおらへんのに。
誰にゆうの?
と、ケロっとした返事をしていた。 わたしのことを家具だと思っているのだろうか。まぁ、別にそれはいい。その日はともだちが魚の干物と共にやってきて、庭で炭火焼をすることになっていた。黙っていてもにぎやかなこの客人を、いつも母は名前を忘れずにいて楽しそうに話す。ちょっとひねくれ者の母のことを友達もおもしろがっていて、そのせいで母の話しは止まらない。
家族みんなで作業をしながら旬の魚をほおばった。
庭では香ばしい煙が立ち込め、時折大きな炎が燃えさかったりした。
それらのひとつずつを愛でながら、夜がふけていった。 こんなときにもし、徘徊癖のある老人が家にいたら、と思わずにはいられない。家族は大変な思いをされているに違いない。わたしの介護時代はまだまだやさしいほうだ。
しかし...。
母の脳内徘徊は止まらない。
ひたすら自分の記憶の中をぐるぐると歩き回り、現実と違うことの答えを探しているようだ。刺激的な一日を過ごし、母の脳が活性していると信じよう。よく見ると、瞳は輝き肌がはっているではないか。きっと全身で楽しんでいるのだろう。はよ寝て。