eps.17 母が歩けば春はきぬ・・・・施設長 淡路由紀子
2022年4月10日

私と、介護を仕事にする人との違い。

先日、母の住むユニットスタッフからビデオが届いた。そこには、支えられた腕をしっかり握り、歩く母の姿があった。その時のようすを語るスタッフは、満面に笑顔を浮かべ少し興奮気味で、とにかく嬉しそうだった。
人は嬉しい出来事を誰かに話したいが、誰でもいいわけではない。
そのことをわかってくれる人を選び間違えると、相手は困惑し、ときには冷ややかな反応を示したりする。服を着せられたペットや赤ちゃんが年賀状で送られ、受け取った人全員がその喜びを分かち合うわけではないのと同じだ。
ともあれ母のビデオを受け取った私は、スタッフに選ばれた正しい相手だ。正直、スタッフの話しているようすは、母が歩いた事実を超えてしまうほど感動した。そこにしかない絆が生まれる瞬間でもある。新しい人間関係があることに、ある種の癒しさえ覚える。
入居者の家族に寄り添うとは、こういうことなんだと実感した。
上の写真は6〜7メートルを歩き終え、ソファに座っている母だ。疲れたようすもなくしっかりしている。体勢が常に斜めになっていた頃と大違いだ。毎年春になると、山菜採りや彼岸のおはぎづくりの母を思い出す。
もしも在宅介護を選び毎日母を見ていたら、昔はああだったのに今はもう、といったノスタルジーがいっぱいだろう。それは悪いことではない。しかし、
人間誰しも過去のことばかり言われ、今の自分を肯定的に認めてもらえないのは、居心地が悪く不愉快でもある。
そこが在宅介護をする人々のジレンマの素である。母の介護ができなかった自分と、介護を仕事にする人との違いは、身内とプロという簡単な比較ではない。
そこには四六時中やさしくて穏やかな見守りと、耳を傾けてくれる人がいる。
私の都合や気分でしていると、歩く母を見ることはなかっただろう。